”がんばろうニッポン”に対する疑問

いま報道は、”がんばれニッポン”一色である。日本全体が団結しようと呼びかけている。
もちろん、私も被災地の方々は応援するし、私ができることは少しでも実行したい。
だが、今実家のある被災地福島に帰ってみると、なんか違うような気がする。
福島は、原発事故による放射能汚染の恐怖も続いているせいもあるが、重苦しい閉塞感がある。
本当は、何かに、誰かに怒りや嘆きをぶつけたいのにぶつけられないむなしさである。

世界第2位(中国に抜かれて3位かもしれないが)の経済大国になり、科学技術水準もトップレベルである日本が、地震津波の天災、原発事故の人災に完全に打ちのめされてしまった。
所詮、日本の災害に対する防御力や対応力は、こんなものだったと実力を知った失望感。また、民主党自民党、その他政党も含めた政治力のなさ。
国民を元気づける気のきいたメッセージの一つも出せない総理大臣や閣僚。

TVでは、”がんばろう”と”ひとりじゃない”の連呼。何となく違う。

今回の東日本大震災は、今の日本のあり方や日本人の生き方を見直すターニングポイントだと思う。

そのためには、被災者の皆さんや福島の原発の被害者はもっともっと本音で叫ばなくてはならない。
何が悪かったのか、誰が悪かったのか。これからどうしたらいいのか。
誰が責任を持って、これからの日本を運営していくのか。

今のままでは、ダメなのは分かっている。
今の日本の何が間違っていたのか、どのように変えなくてはならないのか真剣に考え、行動しなくてはと思う。

今回のクラスの地震がいつでもどこでも発生する可能性がある日本で生きていく以上、今までとは違う日本を作らなくてはならない。

”がんばろうニッポン”ではなくて”変えよう日本”だと思う。
”ひとりじゃない”には同情心が表れている。それではなくて、当事者意識の”われわれ”だと思う。

”われわれで新しい日本に変えよう”

われわれが、責任を持って日本を変えなくてはならない。