第93回全国高校野球選手権大会 ベスト8 予想

今日から始まる大会のベスト8予想です。

各ブロックから、

東洋大姫路
光星学院
九州国際大付
横浜(対抗 智弁学園
星光学院(激戦ブロック、対抗 金沢、習志野明徳義塾
帝京(対抗 花巻東
東大阪大柏原(対抗 糸満
日大三(対抗 智弁和歌山花咲徳栄

がベスト8に残ると予想します。
どこも投手力、得点能力に秀でてるチームだと思います。

私としては、最終的に故郷福島県代表の星光学院が優勝すれば嬉しいです。ベスト8まで残れれば優勝まで行けそうな気がします。
この高校は、初出場の時、初戦で0-20の屈辱的敗北をしたのも関わらず、10年かけて昨年は広陵履正社に勝ち優勝校の興南には負けたもののベスト8残りました。特に歳内投手のスプリットは注目です。

どのチームも悔いの戦いをしてください。

7月23日 NHKスペシャル「飯館村・悲劇の100日」

昨夜、NHKスペシャル飯館村放射能汚染の被害の悲劇をドキュメントしていました。
福島第1原発からは30km以上離れており、今まで原発とは全く関係なく、畜産や有機野菜栽培に力をいれ、原発には全く頼っていない自立した村営をしてきました。
それが、1夜にして自分たちの生活基盤を失い、政府の対応が後手後手になったため放射能による健康被害おびえる日々になり、ついには、今月末には全員が退去避難することになりました。

震災前に収穫したのに全く売れない野菜
自慢の牛を泣く泣く売却
いつ戻れるかにの質問に、全く答えない行政
農業が続けられなくなり、東電の下請け会社で東電の火力発電の仕事をするようになった青年
避難後も、毎日交代で自分たちで放射線の計測をする村民
荒れていく農地

日本の国土を守っているのは、飯館村の村民のような一人一人の地道な力です。
原子力がないと、電力不足で企業が海外移転し、日本経済が大変なことになると大手マスコミは煽るが、一旦事故が起こるとわれわれの生活基盤を一気に喪失させる原子力をこれから擁護することに疑念を感じる。
米国や欧州の地盤の固い所に立地した原発とは違い、日本のように地震津波や台風なの自然災害の多い所では、自努力だけで事故を防ぐことは不可能である。もっともっとリスクの少ないエネルギーに変換を図るべきだと思います。

今、福島市にいますが、市内でも放射能測定値が異常に高いホットスポットがいくつもあります。
放射能でも、長期間(10年、20年)浴びると、健康被害が出る恐れがあるそうです。
福島市からの転出も増えているようです。
夏休みなのに、子供の声が全く聞こえないさびしい夏になりそうです。

出口のない迷路

福島原発の事故事故対応は遅々と進まない。
そんな中で、海江田経産相大臣は、玄海原発は絶対安全だ、国が保証すると言っていたが、菅総理の発案か、より安全を担保するために全国の原発のストレステストを実施と言い出した。
ストレステストは、コンピュータによるシミュレーションである。ある想定される条件下で、耐えうるか問題がないかをバーチャルに検証するやり方である。この条件は誰が決めるのだろうか?原子力安全委員会や御用学者が決めたのなら意味もないが、誰が決めたのであっても、ここまでは安全、保証できることは限界の検証できても、絶対安全にはならない。想定外のことは必ず起こる。
ストレステストの結果が安全だと結論が出てもだれも信用しないだろう。

いま最大の解決すべき課題は、もし福島原発と同じ事故が起こったときに、どのように放射能被害に拡散を防ぎ、放射能除去するかである。
しかし、福島原発の状況をみると、原発の停止だけで四苦八苦である。放射能の汚染は放置され、除去なんか先の先である。

ひまわりや菜の花を植えると、土壌が改善されるとの情報もあるが、ひまわりや菜の花自身に放射能物質が吸収されるだけなので、この汚染された植物の処分が問題になるらしい。

もともと、安全に運転していても使用済み核燃料の処分は解決していなかった。プルサーマルにしたところで2サイクル位再利用が可能なだけで、廃棄の問題を少し先送りにするだけだ。
高速増殖炉ができれば、サイクルをもっと伸ばせるらしいがこの仕組みいつ実用化されるか見通しはない。老朽化した原子炉の廃炉処分方法も確立していない。福島原発も止めるに止められず40年も延命してしまった。

これは、出口ない迷路である。
使用済み燃料や汚染された物質の処分方法や、放射能除去の方法といった出口を作らない限り、迷路から抜けだせる絶対安全はないのである。

原発の安全を保証するだけではなく、最悪の状態での対応方法が担保されない限り、原発の再稼働はありえないだろう。

内閣不信任決議案否決

2日の内閣不信任案の採決の茶番劇は、呆れ果てた。
東日本大震災復興や福島原発事故対応に対する国民の不満に乗じて提出した内閣不信任案で、野党および民主党内野党グループが踊ったこの1週間はなんだったのだろうか?また、菅総理の退任時期で今後も不安定な国会運営が続く責任はだれにあるのだろうか?
一番は、現内閣に謙虚さがないことだと思う。それは、自分たちにそれだけの力量がないのに、知ったかぶりをして、全部コントロールできるかのようにしていることである。
それは、菅総理の度量のなさにある。トップマネージメントができていない。自分がすべてに絡む必要はない。大きな方針(目標)さえ決めれば、部下・組織に任せてやれせればいい。もし不足していると判断すれば、官僚でも野党でも民間でも海外でも協力を依頼すればいい。もちろん、最終責任は、担当大臣や総理大臣にあると事はいうまでもない。
あまりにも、弱みを見せまいという姿勢が強すぎる。
また、野党も、菅総理のどこが具体的に問題なのかを指摘せず、自分たちが運営したらどう変わるのか具体的な政策や体制も提示しないで不信任案提出では、被災地の皆さんも国民も納得しないだろう。
ましてや、民主党の野党グループに至っては、マニフェストに戻れみたいな原理原則をこの非常時に繰り返すだけでは、情けなくなるだけだ。
結局、政権争うパワーゲームをやっているだけで、今ある危機の解決にはならない。
是非、菅総理および内閣は、被災後3か月間の対応レビューを実施し、何がうまくいって、何がまずかったか謙虚に反省し、今後の課題を明らかにし、そのための対応策を国民に明らかにしてほしい。

失敗学

東大名誉教授の畑村洋太郎氏が、福島第一原発事故の原因を究明する”事故調査・検証委員会”の委員長に就任した。

畑村氏は、2000年に”失敗学のすすめ”を出版し、成功からは何も学べない、失敗から創造が生まれる”失敗学”を提唱し、ブームを起こした。私もこの著書を読んで感銘をした記憶がある。

残念ながら、その後の自分の生活に生かすことはなかった。
なぜか? 失敗という言葉自体が、日本人にとっては重い言葉である。失敗することは今までのすべてを否定することになり、”失敗”は”責任をとる”と同意語だからである。だから、組織も個人も失敗だったことを認めない。認めないから、不都合な情報は隠す。言い訳をする。
私の失敗でしたと自分で認め、他人に報告するのはかなり勇気がいる。失敗を認めないから、原因追及を徹底的にしない。原因を自分ではコントロールできない外的要因に求める。
これでは、いつまでたっても、私の失敗は続くことになる。

”想定外の地震津波”が原因としてしまっては、また同じかそれ以上の失敗が繰り返されることは間違いないです。”想定外の地震津波”は言い訳です。
畑村氏が、”失敗学”理論で福島原発の本当の原因究明をされることを期待します。

故マハトマ・ガンジーの”7つの大罪”

昨日(5月23日)参議院行政監視 委員会に参考人として召集された京都大学原子炉実験所助教 小出裕章氏が、自分の証言の最後に、故マハトマ・ガンジーの”現代社会に対する7つの大罪”の名言を今回の福島原発事故の戒めとして我々は肝に銘じるべきだと語った。

「理念なき政治」
労働なき富
「良心なき快楽」
「人格なき教育」
「道徳なき商業」
人間性なき科学」
「犠牲なき宗教」
英文では、
 Politics without Principle
 Wealth without Work
 Pleasure without Conscience
 Knowledge without Character
 Commerce without Morality
 Science without Humanity
 Worship without Sacrifice
となる。

実は、これが昨年1月の鳩山前総理の施政方針演説の中でも触れていた。あんまり話題にはならなかったが。。。
たしかに、含蓄のあることばである。小出先生が言われたように、今日の日本のありようがどうであるか、この7つの大罪の視点から見直すことも必要だと思う。

ヒトラーの贋札

外国映画部門のアカデミー賞を受賞したので、4年くらい前に映画館で見た。期待外れだった記憶がある。NHK BSプレミアムで放送していたので改めて見直した。


GOOの映画解説では、
”「ナチスによるユダヤ人収容所もの」はたびたび映画化されているが、本作は一般にはあまり知られていない、紙幣偽造作戦に携わっていたユダヤ人技術者たちを描いた異色作だ。苛酷な環境下に置かれ、死がそこまで迫っている一般収容所に比べ、この秘密工場での待遇は破格といえるほどいい。しかしその裏には、死んでいく家族や同胞がいる。ナチスへの協力の負い目と、「生きたい」という思いの矛盾の中で、男たちはさまざまな行動をとる。孤高の犯罪者が仲間を救うために完璧な贋札を作ろうとする一方、正義感から仲間を危険な目に陥れてしまう技師もいる。究極の選択を迫られる人間たちを描き、自分ならどうするかを観客に考えさせる作品だ。”である。

今見たら別なことを考えた。リーマンショック後だからかもしれない。
この映画では、ナチスが偽ドルを大量に発行して、米国経済を混乱に陥れるために、ユダヤ人捕虜を使って贋札を作らせようとして、命を懸けたユダヤ人のサボタージュ終戦になり失敗してしまったことになっている。しかし、第二次世界大戦金本位制をやめたドルに、この映画描いている時代の価値はない。FRBがじゃぶじゃぶドル紙幣を発行し、実体経済を金融資本が大きく上回っている現状では、贋札が10%や20%ぐらい流通しても関係ないような気がする。今だったら命を懸けてまで贋札の流通を阻止する価値はない。
そういう意味で、お金の価値の変化について考えさせられた映画ではあった。